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スイカの苗、移植しました [NPO]

昨年の記録的な猛暑にはほとほと参りました。

今年もまた昨年の悪夢のような厳しい暑さになるのではないかと推測しています。今夏の電力不足は必至でクーラーはこまめにつけたり消したりの繰り返しになることでしょう。
考えただけでも背中に冷や汗が流れるようです。

しかし、酷暑も悪いことばかりではありません。雨がすくなく、日差しが強いとスイカはいきいきしてきます。甘みが強く、色は真紅で、大きさも期待できます。

夏の作業は30分が限度です。10分の休憩を取り、必ず水分を補給します。生き返る瞬間です。
そのとき、畑のスイカを食べるのです。

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これが実にうまい。パーゴラの下に据えた大テーブルで食べるのですが、今年はゴーヤの苗を植え、パーゴラにからみつくようにしました。木陰の下で畑の仲間とスイカをかじる。

この時ばかりは畑をやっててよかったと思う。今年は昨年の倍の苗を植えました。省スペースを考えて、対面式に苗を植えました。

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原発事故のまさかの影響 [NPO]

すでに大型連休でお休みになった方も多いかと思います。

各地の行楽地は例年なら高速が大渋滞、どこへいっても人人・・・・。そんな平和な時代が長く続きました。
しかし、今年はご承知の通り原発事故処理の長期化で心理的にへこんでいるのでしょう。
さらに震災と原発事故への対応が見事なくらいお粗末で、政治不信、安全神話の崩壊などがおり重なって、先行き不安がいつになっても小さくなりません。この国は一体全体、どこにいってしまうのか憂慮せざるをえません。

当、NPOでは毎年ゴールデンウイーク後に、埼玉県宮代町で田植えをしてきました。今年で一つの節目の5年目を迎えました。
例年ですと30~40歳代のご夫婦とそのお子さんの総勢60名で田植えをしてきました。
しかし、今年は通常の10分の1しか申し込みがありません。参加者が横一列になっていっせいに苗を植えていく様は壮観でした。しかし少人数では稲を手植えすることは不可能です。

残念きわまる話ですが、今年の田植えを中止せざるを得なくなりました。毎年、小さな子供連れで参加してくれていた、Kさん親子に中止の旨を伝えました。

「被災地の方々の苦しみに比べれば、こうして日常生活が送れることを有り難く感じております。
主催してくださる神山様をはじめ、皆様が悩まれてご決断されたことに従順させていただきます。毎年本当にありがとうございます。私達家族は可能な限り毎年参加していきたいと思っておりますので、今年は出来なかったとしても来年の楽しみになります」

返信メールでKさんに励まされました。ありがたいことです。
写真は昨年5月の田植えの様子。

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雨の中の収穫祭 [NPO]

5月の田植えから始まった第4回「米つくり体験」の締めくくりは「収穫祭」での餅つきだ。

まさかの雨だったが、雨よけシートの下で予定通り餅つきをおこなった。毎年の恒例行事になった餅つきだが、夏の流しそうめんと並んで、子供も大人にも人気がある。
流しそうめんは子供のために企画したものだが、大人が子供の間を割り込むようにして楽しんでいる。童心に帰ったように子供より嬉々としている大人がいる。

餅つきは若い父親より、年配の方のほうが文字通り「昔取った杵柄」でその姿が様になっている。若い父親は腰高で振り上げた杵に重心を奪われがちで安定性がない。

つきたての餅に定番の大根おろし、納豆、黄な粉をまぶし、あっという間に二臼ついた餅を平らげてしまった。子供は大根の辛味が苦手なようで黄な粉と納豆をメインに食べていた。
つきたての餅を食べてしまうと市販の「切り餅」が別な食べ物のように感じてしまう。

半年を通した「米作り体験」が終わると、年の瀬はあっという間に迫ってくる。

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ドロの感触 [NPO]

生まれて初めて田んぼの中に入ると、ドロの重い感触に違和感を感じて「エッー」と声を出してしまう。
安全のために靴を履いて田んぼに入ることを奨めているが、やはり裸足のほうが断然動きやすい。
大概の人は途中で靴を脱ぎ捨ててしまう。ドロの感触に馴れると靴がわずらわしくなる。ドロを直接、肌で感じたくなる。

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身軽な子供はドロになれると器用に田んぼのなかを走り回ることが出来る。大人は相変わらず自分の重さをもてあまし、「よっこらしょ」と片足づつ引っこ抜くようにして移動する。

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あるとき、いの一番に田んぼにはいった初老の女性がいた。降りた勢いで3歩ほど歩いたところから全く身動きが止まってしまった。両足がドロ深くはまってしまい、両側から男性がダイコンのように女性を引っこ抜いて事なきを得た。女性はその後二度と田んぼに入ろうとしなかった。


田植え風景 [NPO]

5月16日、昨年より1週間遅れで今年もまた「米つくり体験」が始まった。
第4回となる「米つくり体験」イベントの会場は埼玉県宮代町。埼玉県東部に位置する米どころの土地柄である。

収穫する米は毎年550kg前後で参加者主体に販売している。
食味はすこぶる好評で参加者以外の方々から売ってほしいという、ありがたい要望が多いが残念ながら完売状態が毎年続く。

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参加者は9割以上、家族連れだ。
田んぼに入るのが怖くて泣き出す幼児がいる。お母さんにしがみついて緊張顔の子もいる。おばあちゃんに子供の面倒を見てもらい、二人で田植えを楽しむ夫婦もいる。
お孫さんと二人で遠く神奈川から来たおじいちゃんは腰が痛いからとはじめは躊躇していた。しかし2時間しっかり田植えをやり終えた。

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三人目の出産をまじかに控えたお母さんも、大きなお腹で最後まで田んぼの中にいた。
「三人目も男です」と屈託のない笑顔が素敵なご夫婦。

主催者としての楽しみの一つは、1年ごとに成長する子供たちに会えること。
小学生だった男の子が中学2年になったいまも、田植えに来てくれるのはとてもうれしい。
この少年が将来父親になったとき、きっと自分の子供に田植え体験をさせるだろう。

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毎年のことだが、10時に田植えを開始して、1時間たってもなお作業の半分もやり終えていない。主催者としてやきもきする瞬間だが、残り40~50分になると作業のスピードがとてつもなく速くなる。
終了時間の12時きっかりには1200平米の田んぼが苗で埋め尽くされる。幾何学的な緑の帯が田んぼ一面に描かれる。
今年の田植えは何時になく、うまく、きれいに出来たと指導してくれたスタッフからお褒めの言葉をいただいた。

稲刈りと案山子 [NPO]

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5月の連休明けの9日に田植えをした稲が4ヵ月後に刈り取りができるまでに育った。

数日前の台風と低温が続いた天候にも影響されず、田んぼのコシヒカリはしっかり立っていた。水抜きの終わった田んぼは適度に乾燥していて、稲刈りの作業もはかどった。

子供たちは稲を刈った後に取り残されたカマキリやアマガエルを追っかけている。

役目を無事終えた案山子もひっそり片付けられた。

写真は案山子コンクールで入賞したTさん一家。遠く横須賀から参加した甲斐があった。

優れもの、石臼のすごさ [NPO]

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蕎麦の実をひく石臼は固定された台座部分の下臼とその上でぐるぐる回る上臼の2つに分かれている。それぞれの接触面には細い溝が彫られ、幾何学的な文様を描いている。

かなりのスピードでまわる石臼に砕かれた蕎麦の実が粉になって溝を伝い、外へと押し出されていく。
かなりな摩擦熱が発生するが、熱は容易に石に伝わらない。従って挽かれた粉も酸化せずにすむ。

臼が熱伝導率の高い金属製の場合、石臼に比べそば粉の風味が損なわれやすい。
粉の粒子の大きさも、食感に影響するのかもしれない。石臼を使うと粗くもなく、細かすぎるでもなく、不ぞろいだが程よい大きさの粒子に仕上がるのだろう。
彫られた溝はある年月を経ると、摩滅してしまうので、そのたびに目立てしなおす。

目立てをするのはやはり石屋の石工の仕事だと思うが・・・昔は家庭の常備品だっただけに、自分で目立てをするケースもあったのかどうか、そのあたりはよくわからない。

蕎麦打ち講習始まる [NPO]

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昨年に引き続き、第2回となる「蕎麦打ち講習」を宮代町の「新しい村」で行った。

用意できる蕎麦打ち道具の関係で15人限定の講習だ。
「トコトコ農園」からはKさん、Iさん、そして蕎麦が大好きという女性のAさんの3人が参加した。

昨年の第1回の「蕎麦打ち講習」とプログラムの組み方が少し変わった。
昨年は企画を立てたのが10月に近い9月だったため、すでに蕎麦の種まきが終わり、収穫体験から講習をスタートさせた。
今年はその前段階の種まきから始めることになった。
午後1時に集合、蕎麦畑に出る前にクーラーの利いた「農の家」で蕎麦のできるまでの流れを写真を交えて説明を受けた。

蕎麦は種を播いてから4~5日で発芽し、75日間で刈り取りをすることができる。
11月の6日前後には収穫が可能になる。

午後から曇りという予報は完全に外れ、この夏一番の暑さのように感じられる。
用意された畑にはすでに長さ40メートル強の畝が4畝切ってあった。
宮代町は利根川下流域に位置し、米農家が多い。蕎麦は水はけのよい、痩せた土地を好むため、畝を高く切っている。

畝のてっぺんを三角フォーで平らにならし、化成肥料を播き、さらに三角フォーを使って平らにならしたてっぺんに溝をつけることで肥料を土になじませ、その溝に蕎麦の種を播いていく。

参加者の大半が畑仕事を初めて体験したようで、面白そうに作業をしていた。

蕎麦うちイベントのお知らせ [NPO]

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昨年、蕎麦打ちのイベントを初めてやってみた。

いま日本の蕎麦の自給率は20%。大半が中国からの輸入でまかなっている。
「二八蕎麦」とは8割そば粉、2割がつなぎというのが本来の意味だが、いまや2割が国産、8割が外国産という意味(?)になってしまった。

昨年のちょうどいまごろ、あらゆる食品が海外から日本に入っている横浜の税関を見学した。蕎麦は主として中国から輸入されている。ショキングだったのは中国産の蕎麦を引き取っていくのは長野ナンバーだそうだ。
これがなにを意味するかは皆さんのご想像にお任せします。

蕎麦はお米に比べて反当りの収穫量がとても低い。蕎麦は痩せた土地で育ち、成育段階ではお米に比べて比較的手間はかからない。しかし、そのぶん、後の手間は格段に蕎麦のほうがかかる。
それゆえ人件費の安い外国産に国内産は太刀打ちできない。本物の国内産は本当に貴重だ。

蕎麦つくりがどれほど手間のかかるものなのか、その興味にひかれて「蕎麦うち体験」を行い、そしてまた今年も開催することにした。

昨年と違い今年は、蕎麦の種まきからやってみることにした。刈り取り、脱穀、石臼を使った粉引き、蕎麦がき作りを経て、本物の新そば粉を使った蕎麦うちを体験するイベントだ。
写真は昨年のイベントの様子
詳細は下記の「自然なくらし」のイベント情報を参照してください。

http://www.ganbare-nougyoujin.org/new/event/index.html

はじめに<5> [NPO]

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「米作り」、「蕎麦作り」の体験イベントについては「いいとこどり」と辛口な評価をする人がいる。

確かに「米作り体験」といっても、苗から作るわけでもない。代掻きをするわけでもない。田に水を引くこともない。毎朝、水の状態を確認するわけでもない。
だから所詮、都会人による「米作り体験」など米作りのほんの一部を体験したことにしかならない。

確かにおっしゃるとおりだ。
しかし、昨今、農家も苗作りはJAなど外部に委託して、自分で苗を作らなくなってきている。代掻きも機械で均してしまう。田に水を引くのも水路を開くだけのことで、水が全面に張るのはたっぷり二日くらいかかる。田植えも、稲刈りも人手を使わず機械であっという間に済ませてしまう。
すべてを体験しなければならないとするならば、米農家を目指す人がやればいい。

やはり何事も取っ掛かりは、ハードルが低いほうが良い。一人でも多くの人が体験をして、次のステップに進みたい人はもう一歩、踏み出せばいい。

プロの農家とて、最初はド素人なのだから、あまりストイックに考えないほうが良い、と私は思っている。
「蟻の一穴」の諺のように、ちっぽけな体験イベントの参加がきっかけになって、大きなうねりになることを信じている。

はじめに<4> [NPO]

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NPOを立ち上げたとき、自分ではあえて農業体験をしようと思わなかった。

その理由は農業という職業は奥が深すぎて、少しかじった程度で、農業のすべてをわかったような気になってしまうようで、それはとてもおこがましいと思っていたからだ。

「百姓」は文字通り、多くの姓(顔ともいう)を持った人で知識と実行が伴った職業である。
米作り30年の名人が、自らを「たった30回しか米を作ったことがない」と謙遜するくらいである。かつては森の手入れをしながら炭を焼き、農具や簡単な小屋なども自分の手で作ってしまい、キノコの見分け方、山菜等のありかと食べ方をよく知っている。
自然の営みを熟知して、とにかくありとあらゆることがらに通じている。

ところがいまは農業体験の意義を私が説いている。
2年前に「米作り体験」を当NPOが主催したが、それをきっかけにこれまでの考え方を改めるようになった。
関越自動車道の花園インターから15分くらい走ると、美里という町に入る。そこに約2反の棚田が耕されずに残っていた。その田んぼを借り受け、農家の人に管理を委託して、田植えから稲刈りまで全5回の日程で、体験イベントを行った。

私自身はそれ以前に、田植えと稲刈りは別々の場所で体験したことがあったが、一連の流れの中での米作りは初めてのことだった。
米は機械化が最も進んで、農作業の手順もかなり統一されているが、人それぞれ、土地それぞれで細かなところでは、微妙に違っている。たとえば肥料の使い方、雑草の種類など、細かいところですこしづつ違う。

また昨年は「蕎麦うち体験」をやってみた。
蕎麦は手間がかかると、話では聞いて知っていたが、これが実際に収穫から脱穀、石臼を使った粉引きなどを体験してみると、聞くとやるとは大違いだった。国産のそばが中国産そばに圧倒されるのは、残念だけれど納得せざるを得ない。中国からの輸入がとだえれば、おそらく蕎麦屋で普段食べている蕎麦の値段はいまより2~3倍は高くなることは想像に難くない。
それほど蕎麦は労力と時間を食う作物であることが、実感することができた。

頭で考えて理解しているつもりでも、実際に体を動かしてみると、これまでの理解の浅さを痛感することが多い。

はじめに<3> [NPO]

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NPOの設立目的の大きな柱は「農業支援」だが、具体的になにをすればよいのか。
正直なところNPO設立から2年間は手探り状態だった。

はじめに手がけたのが「ニッポン食堂」という大きな“食と農”のイベントだった。
生産者、食品関連企業、料理人、そして生活者が一堂に集まり、安全、安心な食材を一流の料理人が調理して、その料理を生活者が食べて楽しみながら、日本の“食と農”を考えるという一日限りのイベントで、参加者500名規模のお大掛かりなものだった。農水省の後援も得て東京、京都、再び東京と会場を移し、都合3回、開催した。
参加者が一皿の料理のむこうに、農業の未来や生産者を思い浮かべてもらえれば、という狙いだった。会場には生産者の方々が持ち込んでくれた食材が並び、著名な料理人がその横で料理を作り、イベントは大成功だった。

しかし、問題がなかったわけではない。料理人とスポンサーでもある食関連企業が目立ち、生産者の影がどうしても薄くなってしまい、回を追うごとに当初の狙いが微妙にずれてくるようになった。
もっと生産者が前面に出てくるイベントにしなければと考えあぐねている間に時間はいたずらに過ぎて行ってしまう。とにかく大規模なイベントで、かかわるスタッフも百人近いし、最低でも3ヶ月の準備期間を要する。
正直言って3回目を終えた時点で、徒労感が達成感を上回り始め、ここは腰を据えてもう一度じっくり考え直そうと、現在「ニッポン食堂」の企画・実施は先送りされている。

このイベントをきっかけに私は多くの農家の方々と接する機会を持つことができた。
会って話を聞くと、農業を取り巻く環境はなかなか厳しいものがあり、その中で農家の人たちは文字通りがんばっている。
しかし、所詮自分で野菜や米を作ったこともない人間にとって厳しい現実の具体的な中身に及ぶと、正直なところ本当に理解していたかどうか、かなり怪しい。

はじめに<2> [NPO]

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私は長年出版社に勤務していたことから、友人、知人にマスコミ関係者が多い。

NPO設立にも出版社時代の先輩、後輩の力を借りた。およそ農業などやったことのない連中が集まって農業・農村支援を始めようということになった。
なぜ農業なのかは私自身の場合は、子供の頃の体験が大きく関係していると思っている。

私の母親の実家は福島市の飯坂温泉で桃とりんごを主体にした「果樹農家」である。
小学校の低学年まで、夏休みの楽しみといえば飯坂の母の実家に2週間ほど泊まりに行くことだった。お盆前後は桃の収穫時期で、果樹農家は暗い早朝から畑に出て、収穫作業をしていたらしい。というのも、その時間帯、子供の私はメルヘンの世界に遊んでいたから叔母、叔父が桃を収穫している姿をこの目で確かめていない。

誰一人いない町営プールを貸しきり状態で泳いだり、プールほどの大きな温泉風呂に昼日中から、つかり、体が火照ってくると、浴槽横のテラスの下に流れる阿武隈川の支流、摺上川(すりかみがわ)に素っ裸で飛び込み、泳ぐのである。体が冷え切ると、また温泉につかるという、今思えばなんとも贅沢な時間を過ごしていた。

水泳と温泉に飽きると、桃の収穫を手伝う。手伝うというのは口実でトラクターの荷台に載って、起伏のある坂道のスリリングな上下動を楽しんだだけだ。

稀な経験では台風による暴風雨の中、田んぼの畦の修理を手伝い、全身びしょぬれになったくらいの農業体験しかない。これとても苦しい体験というより、自分がヒーローになったような高揚感のほうが強く、農業は楽しいという強烈な印象を持った。

そんな農業をしたこともない連中が集まって、農業支援などできるのか?と周りからいぶかられた。しかし、本人に農業体験がないからといって、農業にかかわることができないということもないはずだ。スポーツの経験がなくてもプロのコーチや監督になる人もいるくらいだから、何とか方法を考えれば、自分たちも農業にかかわることはできる、そう信じてNPOを作ることにした。

はじめに<1> [NPO]

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いまからほんの数年前まで農業をはじめとして日本の第一次産業は日のあたらない仕事の代名詞のように扱われてきた。
「百姓」は侮蔑と自虐が入り混じった名詞として使われてきたのだから、農家を継ぐ若者は希少価値的な存在に見られ続けてきた。
ところがいまや、渋谷のギャル高校生がインタビューに答えて、「これからは農業よね」なんてのたまう時代に変わった。9割がたテレビ局のやらせに違いないのだが、それを割り引いても農業に目を向ける人は少なからず増えてきていることは確かである。

5年前に出版社を早期退職して、4年前に農業を支援するためのNPOを立ち上げたとき、周りの友人、知人から「何で農業?」といぶかられたが、いまはそういう空気は薄らいできたように思う。
私は昭和23年生まれの団塊世代であるが、周りは定年延長制度も過ぎて、これから続々同世代の人たちが、リタイアしていく。昔の60歳と違い、今はみな若い。体力も気力もまだまだ余力のある人たちが、どっと社会にあふれてくる時代だ。
もうお金にがつがつする年でもないけど、先細る年金のことを考えると、自分の小遣い程度は自分で稼ぎたい、と思うのも自然だ。
あるいは社会との接点を何らかの形で保っておきたいという願望もある。

私にとって退職後は半分ビジネス、半分ボランティアを理想と考えてきたが、NPOはその物差しにちょうど合う組織だった。
しかしNPOを組織していざ始めてみると、大半がボランティアで「ビジネス」とは程遠い収益状況であることに気づいた。
NPOは行政の思惑もあって一時は認可されたNPO団体は相当数に上った。しかし、いまやその大半は幽霊団体になっているという。ほんの一握りが活動を継続しているのが実態である。

思うに100%ボランティアでは長続きしない。半分「ビジネス」の意味は、次年度の活動を支えるために収益を上げようとするのであって、NPOの理事たちが飲み食いに使うための、ビジネスではない。NPOはお金を稼いではいけないと信じている人が多いが、けしてそうではなく、もうけた金は次年度の活動にまわさねばならないという原則があるだけだ。

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