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小麦の選別 [作業日誌]

足踏み脱穀機の機嫌を取りながらなんとか脱穀作業を終えることができた。

さて、今度は小麦の実に混じった籾殻やその他のゴミを取り除く作業である。

昔は木で作られた巨大扇風機のような「唐箕」を使うのだが、これも足踏み脱穀機同様、文化遺産のような代物で、今ではほとんど目にすることはない。まして使われることもまずない。

そこで「唐箕」の原理自体シンプルなので、それに代わるものを作ってしまえばよいわけで、その通りやってみた。

それが写真にあるように、家庭用の扇風機とダンボールの組み合わせで、いとも簡単にできてしまう。
あまりにも簡単すぎて、これで本当に籾殻やゴミを選別できるのだろうか。

それが立派に出来るのです。

ダンボールの上部をくりぬいたところに、ゴミ混じりの小麦を無造作に落とすと軽い籾殻やゴミがダンボールの外に吹き飛ばされ、重い小麦の実だけがダンボール内に貯まっていく。

約60kgくらいあろうかと思われる量を1時間足らずで処理してしまった。

改良点は作業終了近く、ダンボールが実の重みでゆがんでしまったので、来年は木枠を作り、その外側にダンボールのような厚紙を貼れば問題ない。
それと出来れば扇風機より強い風をおこせる業務用の送風機があればさらに効率はアップする。

8月のお盆前までに2度ほど実を天日乾燥すれば、後は製粉所に持ち込むだけでよい。

1年目より2年目、そして3年目の来年はさらに作業の効率化をはかるアイデアが出てくるだろう。

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小麦の脱穀・続編 [作業日誌]

小麦畑に脱穀機を運び込み、穂の狩リとりにあわせ次から次へと脱穀をする算段である。

踏み板を踏み込むとカラカラと軽快な音を立ててドラムが回転する。面白いように穂から実が落ちていく。
会員がわれもわれもとかわるがわる脱穀作業を体験してみる。

脱穀し終えた藁が軽トラの荷台に乗り切らないほど、作業は順調にすすんだ。

ところがである、次第にドラムが不規則なきしむ音をたてだした。どうやらドラムを支える部品の具合が悪く、木枠にしっかり固定されているべきドラムががたがたしだしたようだ。

回転軸にはたっぷりグリースをさしたが、長すぎた空白期間であちこちにがたがきているらしい。ついに脱穀機は悲鳴を上げて、動かなくなった。

懇意の自動車修理工場に脱穀機を持ち込み、みてもらったが、どうやらベアリングに不具合がでてきたらしい。
12個入っているべきボールの半数近くがいびつになっていたり、欠けていた。

昭和初期に作られたであろう特殊な機械の純正部品など、今はどこを探してもない。そもそも足踏み脱穀機メーカーなぞいまや存在しない。

もはやこれまでか?

しかし残った半分のボールをまた入れなおし、組み立てなおすと、また機械は機嫌を直してカラカラとドラムを回わしはじめた。

そして残りの穂の約半分ほど脱穀しおえると、再び機械は動かなくなった。やはりボールが半減したベアリングでは機械のようはなさない。

後の半分は昨年同様、穂をひたすらたたきつけてやるしかないか?
あきらめかけると去年の悪夢がよみがえってきた。

しかし、ただ一人あきらめずに修理に執念を燃やした人がいた。自動車の整備をやっていたMさんである。
ホームセンターで台車の回転足を買ってきて、分解してボールを取りだし、そのボールを脱穀機のベアリングに入れ替えたのだ。

機械は三度機嫌を直して動き出した。前にもまして快調そのもの、カラカラとはずむような音を鳴らして。

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小麦の脱穀 [作業日誌]

昨年初めて小麦作りに挑戦したものの、脱穀機や唐箕といった機械の類を一切使わず、脱穀から選別まで人力で済ませてしまった。

梅雨の晴れ間を選んで、炎天下での原始的な作業のおかげで、会員から悲鳴と不満が渦巻いた。
そこで今年は機械をなんとか調達する条件で、昨年の倍の2kgの種を播いた。種類はもっともポピュラーな「農林61号」だ。

さて問題の機械の調達だが、ひょんなことから大学の級友が都下、昭島市の代々の農家で、蔵の奥にまだ脱穀機が眠っているはず、という有力情報を得た。

そこで写真のような足踏みの脱穀機を譲り受けてきた。昭和初期のものではないかと推察するが、踏み板を踏み込むと、カラカラと快調にドラムは回る。
構造的にはとてもシンプルなので、早々には壊れることがないようだ。


いかにも「私に任せてください」といわんばかりの人間的な暖かさを感じる機械である。
ホーロー製のレトロなネームプレートもまたいい。色も鮮やかさを失わず、民芸品を思わせる。

さていよいよ、麦をかり、束ね、穂を機械にかけたが、これがなんと・・・

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亡き編集者をしのぶ会

7月8日(日)銀座のとあるイタリアレストランを借り切って、今年3月に突然死してしまった元「プレジデント」誌の編集長を務めたKを偲ぶ会が行われた。

Kは私より8歳年下で、私より少し前に退職して栃木県の馬頭町に家族3人で引っ越してしまった。田舎暮らし10年目での不慮の事故死だった。趣味だったサイクルロード中に心臓発作(?)で意識を失い、崖下の用水路に顔を突っ込み、溺死した。

Kはなかなか社内外で人望があり、酔っ払うと男女見境もなく抱きつき口付けする奇行の持ち主で、新宿3丁目をこよなく愛した男だった。Kに唇を奪われた男女は数知らず、しかしそれが原因で人間関係を悪くしたという話しは聞かない。むしろその逆で数々の奇行が偲ぶ会で披露されると、会場は和み爆笑の渦になった。

当日の参加者はプレジデント関係者(OBと現役)が15名、残りの50名あまりは彼と親交の厚い、著者、ライター、カメラマンといった外部の人たちである。

その中の一人、いまやノンフィクションライターの大御所の一人である「佐野眞一」も偲ぶ会の発起人に名を連ねていた。「東電OL殺人事件」などベストセラー本を何冊も書いている。

「佐野眞一」は七校の2年先輩にあたり、名刺交換をして少し話をした。
佐野氏とKはプレジデントの企画、戦後45年史のなかで「無着成恭」を佐野氏が担当したことから付き合いが始まった。
佐野氏はこれをきっかけに、現在のノンフィクション作家として歩みだしたといっていた。
浅からぬ縁である。

Kと私のそもそもの共通点はともに「田舎暮らしの本」(現在は月刊誌だが、創刊当時は旬刊だった)の創刊当初からの愛読者だった。

そしてKは10年前に田舎暮らしを実践に移し、私も8年前から田舎暮らしを見据えたNPOを立ち上げ、都市に背中合わせの手軽な田舎暮らしを楽しんでいる。

Kは2年前、「トコトコ農園」を訪れ、「プレジデント」で紹介記事を書いてくれた。これから互いの田舎暮らしを肴に
飲む約束をしていた矢先の出来事だった。

おそらく本人は自分があちら側の世界にいってしまったことをいまだ自覚してないかもしれない。

いつも思うことだがいい奴から先に逝ってしまうのは本当に悔しい。


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